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諏訪市医師会

〒392-0027 長野県諏訪市湖岸通り5丁目12番5号
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医師会の歴史
≫ 新政府による戸籍編成

明治5年、新政府は戸籍編成を実施した。それによると諏訪郡下の医師数は、 川岸1、湊1、平野2、下諏訪4、上諏訪5、豊田1、湖南1、中洲1、四賀1、永明3、宮川2、玉川2、米沢1、豊平1、湖東1、北山2、金沢2、原3であった。

≫ 医制の発布

当時は医師の資格や身分を規定するものはなく、医師のほとんどは世襲により医業を続けてきた者、他に弟子入りして修業を積んだ者であった。 新政府は医師の身分と国民の保健体制確立のため、明治8年に医制を全国に発布し、 「医師は医学卒業証書および内科、外科、眼科、産科専門の科目を2ヵ年以上実験した証書を所持する者を検査した上で免状を与えて開業を許可する」などが規定された。 明治9年には医師試験法、12年には医師試験規則、16年には医術開業試験規則、医師免許規則などが公布された。

≫ 公立高島病院

明治13年に高島病院が開院した。明治24年に郡立高島病院となり、大正8年には郡立諏訪病院と改称された。 大正12年、日本赤十字社に移管となり、日赤長野支部病院諏訪分院となる。昭和18年、日赤長野支部諏訪赤十字病院と改称されたが、同年海軍病院に指定され野比海軍病院諏訪赤十字病院となった。 昭和19年、日本赤十字社直轄となり、日本赤十字社本部諏訪病院となった。終戦とともに海軍病院指定は解消され、昭和29年に諏訪赤十字病院(日赤本社直轄)と改称され総合病院として承認された。 平成6年、日赤本社直轄病院から長野県支部に移管となり現在に至っている。

≫ 医師組合

明治21年頃、諏訪医会が発足した。

≫ 医師小組合・地区医会

明治30年頃から諏訪郡医会とは別に地域ごとの団体が生れた。下諏訪町、平野村、川岸村、湊村長地に「下筋医会」が、平野、川岸、湊に「三六会」が、 下諏訪町に「有隣会」が、上諏訪町に「杏華会」が、中州、湖南、豊田に「守山会」が、また南諏地区(現在の茅野市、富士見、原村の地域)には「岳坡会」が発足した。

≫ 長野県医会

明治35年に長野県医会が発足し、明治39年に長野県医師会と名称を改めた。

≫ 諏訪郡医会

明治35年に諏訪医会は諏訪郡医会となる。

≫ 諏訪郡医師会

明治39年に諏訪郡医師会が設立された。

≫ 岡谷市医師会

昭和11年に岡谷市が誕生し、諏訪郡医師会から分離し岡谷市医師会が設立された。

≫ 諏訪市医師会

昭和16年、上諏訪町と豊田村、四賀村が合併して諏訪市が誕生し、諏訪郡医師会から分離し諏訪市医師会が設立された。
これ以降、諏訪地域では3つの医師会が活動している。

  • 諏訪市医師会について
  • 医師会の歴史
  • 医師会の活動・行事の紹介
  • 役員名簿【PDF】
  • 所属医療機関
  • 諏訪市医師会について
  • 准看護学院
  • 癒報告書・意見書のダウンロード
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≫ 新政府による戸籍編成

明治5年、新政府は戸籍編成を実施した。それによると諏訪郡下の医師数は、 川岸1、湊1、平野2、下諏訪4、上諏訪5、豊田1、湖南1、中洲1、四賀1、永明3、宮川2、玉川2、米沢1、豊平1、湖東1、北山2、金沢2、原3であった。

≫ 医制の発布

当時は医師の資格や身分を規定するものはなく、医師のほとんどは世襲により医業を続けてきた者、他に弟子入りして修業を積んだ者であった。 新政府は医師の身分と国民の保健体制確立のため、明治8年に医制を全国に発布し、 「医師は医学卒業証書および内科、外科、眼科、産科専門の科目を2ヵ年以上実験した証書を所持する者を検査した上で免状を与えて開業を許可する」などが規定された。 明治9年には医師試験法、12年には医師試験規則、16年には医術開業試験規則、医師免許規則などが公布された。

≫ 公立高島病院

明治13年に高島病院が開院した。明治24年に郡立高島病院となり、大正8年には郡立諏訪病院と改称された。 大正12年、日本赤十字社に移管となり、日赤長野支部病院諏訪分院となる。昭和18年、日赤長野支部諏訪赤十字病院と改称されたが、同年海軍病院に指定され野比海軍病院諏訪赤十字病院となった。 昭和19年、日本赤十字社直轄となり、日本赤十字社本部諏訪病院となった。終戦とともに海軍病院指定は解消され、昭和29年に諏訪赤十字病院(日赤本社直轄)と改称され総合病院として承認された。 平成6年、日赤本社直轄病院から長野県支部に移管となり現在に至っている。

≫ 医師組合

明治21年頃、諏訪医会が発足した。

≫ 医師小組合・地区医会

明治30年頃から諏訪郡医会とは別に地域ごとの団体が生れた。下諏訪町、平野村、川岸村、湊村長地に「下筋医会」が、平野、川岸、湊に「三六会」が、 下諏訪町に「有隣会」が、上諏訪町に「杏華会」が、中州、湖南、豊田に「守山会」が、また南諏地区(現在の茅野市、富士見、原村の地域)には「岳坡会」が発足した。

≫ 長野県医会

明治35年に長野県医会が発足し、明治39年に長野県医師会と名称を改めた。

≫ 諏訪郡医会

明治35年に諏訪医会は諏訪郡医会となる。

≫ 諏訪郡医師会

明治39年に諏訪郡医師会が設立された。

≫ 岡谷市医師会

昭和11年に岡谷市が誕生し、諏訪郡医師会から分離し岡谷市医師会が設立された。

≫ 諏訪市医師会

昭和16年、上諏訪町と豊田村、四賀村が合併して諏訪市が誕生し、諏訪郡医師会から分離し諏訪市医師会が設立された。
これ以降、諏訪地域では3つの医師会が活動している。

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≫ 新政府による戸籍編成

明治5年、新政府は戸籍編成を実施した。それによると諏訪郡下の医師数は、 川岸1、湊1、平野2、下諏訪4、上諏訪5、豊田1、湖南1、中洲1、四賀1、永明3、宮川2、玉川2、米沢1、豊平1、湖東1、北山2、金沢2、原3であった。

≫ 医制の発布

当時は医師の資格や身分を規定するものはなく、医師のほとんどは世襲により医業を続けてきた者、他に弟子入りして修業を積んだ者であった。 新政府は医師の身分と国民の保健体制確立のため、明治8年に医制を全国に発布し、 「医師は医学卒業証書および内科、外科、眼科、産科専門の科目を2ヵ年以上実験した証書を所持する者を検査した上で免状を与えて開業を許可する」などが規定された。 明治9年には医師試験法、12年には医師試験規則、16年には医術開業試験規則、医師免許規則などが公布された。

≫ 公立高島病院

明治13年に高島病院が開院した。明治24年に郡立高島病院となり、大正8年には郡立諏訪病院と改称された。 大正12年、日本赤十字社に移管となり、日赤長野支部病院諏訪分院となる。昭和18年、日赤長野支部諏訪赤十字病院と改称されたが、同年海軍病院に指定され野比海軍病院諏訪赤十字病院となった。 昭和19年、日本赤十字社直轄となり、日本赤十字社本部諏訪病院となった。終戦とともに海軍病院指定は解消され、昭和29年に諏訪赤十字病院(日赤本社直轄)と改称され総合病院として承認された。 平成6年、日赤本社直轄病院から長野県支部に移管となり現在に至っている。

≫ 医師組合

明治21年頃、諏訪医会が発足した。

≫ 医師小組合・地区医会

明治30年頃から諏訪郡医会とは別に地域ごとの団体が生れた。下諏訪町、平野村、川岸村、湊村長地に「下筋医会」が、平野、川岸、湊に「三六会」が、 下諏訪町に「有隣会」が、上諏訪町に「杏華会」が、中州、湖南、豊田に「守山会」が、また南諏地区(現在の茅野市、富士見、原村の地域)には「岳坡会」が発足した。

≫ 長野県医会

明治35年に長野県医会が発足し、明治39年に長野県医師会と名称を改めた。

≫ 諏訪郡医会

明治35年に諏訪医会は諏訪郡医会となる。

≫ 諏訪郡医師会

明治39年に諏訪郡医師会が設立された。

≫ 岡谷市医師会

昭和11年に岡谷市が誕生し、諏訪郡医師会から分離し岡谷市医師会が設立された。

≫ 諏訪市医師会

昭和16年、上諏訪町と豊田村、四賀村が合併して諏訪市が誕生し、諏訪郡医師会から分離し諏訪市医師会が設立された。
これ以降、諏訪地域では3つの医師会が活動している。

  • 諏訪市医師会について
  • 医師会の歴史
  • 医師会の活動・行事の紹介
  • 役員名簿【PDF】
  • 所属医療機関
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医師会の歴史
◎ 新政府による戸籍編成

明治5年、新政府は戸籍編成を実施した。それによると諏訪郡下の医師数は、 川岸1、湊1、平野2、下諏訪4、上諏訪5、豊田1、湖南1、中洲1、四賀1、永明3、宮川2、玉川2、米沢1、豊平1、湖東1、北山2、金沢2、原3であった。

◎ 医制の発布

当時は医師の資格や身分を規定するものはなく、医師のほとんどは世襲により医業を続けてきた者、他に弟子入りして修業を積んだ者であった。 新政府は医師の身分と国民の保健体制確立のため、明治8年に医制を全国に発布し、 「医師は医学卒業証書および内科、外科、眼科、産科専門の科目を2ヵ年以上実験した証書を所持する者を検査した上で免状を与えて開業を許可する」などが規定された。 明治9年には医師試験法、12年には医師試験規則、16年には医術開業試験規則、医師免許規則などが公布された。

◎ 公立高島病院

明治13年に高島病院が開院した。明治24年に郡立高島病院となり、大正8年には郡立諏訪病院と改称された。 大正12年、日本赤十字社に移管となり、日赤長野支部病院諏訪分院となる。昭和18年、日赤長野支部諏訪赤十字病院と改称されたが、同年海軍病院に指定され野比海軍病院諏訪赤十字病院となった。 昭和19年、日本赤十字社直轄となり、日本赤十字社本部諏訪病院となった。終戦とともに海軍病院指定は解消され、昭和29年に諏訪赤十字病院(日赤本社直轄)と改称され総合病院として承認された。 平成6年、日赤本社直轄病院から長野県支部に移管となり現在に至っている。

◎ 医師組合

明治21年頃、諏訪医会が発足した。

◎ 医師小組合・地区医会

明治30年頃から諏訪郡医会とは別に地域ごとの団体が生れた。下諏訪町、平野村、川岸村、湊村長地に「下筋医会」が、平野、川岸、湊に「三六会」が、 下諏訪町に「有隣会」が、上諏訪町に「杏華会」が、中州、湖南、豊田に「守山会」が、また南諏地区(現在の茅野市、富士見、原村の地域)には「岳坡会」が発足した。

◎ 長野県医会

明治35年に長野県医会が発足し、明治39年に長野県医師会と名称を改めた。

◎ 諏訪郡医会

明治35年に諏訪医会は諏訪郡医会となる。

◎ 諏訪郡医師会

明治39年に諏訪郡医師会が設立された。

◎ 岡谷市医師会

昭和11年に岡谷市が誕生し、諏訪郡医師会から分離し岡谷市医師会が設立された。

◎ 諏訪市医師会

昭和16年、上諏訪町と豊田村、四賀村が合併して諏訪市が誕生し、諏訪郡医師会から分離し諏訪市医師会が設立された。
これ以降、諏訪地域では3つの医師会が活動している。